長崎県聴覚障害者情報センターは長崎県内の聴覚障がい者のためのセンターです

DC 歴史

DC2018-001 戦後70年報道特別番組
京都は守られたのか
〜知られざる原爆投下計画を追う〜
 太平洋戦争中、広島・長崎に原爆が落とされ、焦土化した日本。そんな中、京都は大きな被害を免れた。しかし、京都への原爆投下の計画は確実に進められていたという。
太平洋戦争から70年。京都の歴史と文化、美しい町並みはいかにして守られたのか。そして京都原爆投下の計画は本当にあったのか。アメリカの機密文書から探る。
(字幕・手話付き 選択可能)手話表現者:米内山昭枝
利用区分 B-3 時間 49
DC2014-001

池上彰の戦争を考えるSP

~戦争をどう伝えたのか~

 池上彰が戦争を考えるSP、今回のテーマは「戦争と報道」。戦時下の日本やハワイで戦争はどのように伝えられ、人々はどう感じたのかを特集する。

日本の真珠湾攻撃をハワイの日系人向け新聞はどう伝えたのか。80年前の日本でこう然とペンで軍部に立ち向かった新聞人・桐生悠々とはどんな人物だったのか。

テロや戦争ジャーナリストのあり方が問われる今、改めて戦争と報道を考える。

利用区分 B-3 時間 95
DC2013-004

歴史秘話ヒストリア

新春激突!織田・徳川・武田 三大決戦

~長篠の合戦 男たちは何を見た!?~

 「エピソード1 信玄と戦いたくない!信長の弱気な接待作戦」ゴージャスな織物400枚に帯を300本に虎の皮にヒョウの皮、オーダメイドの服や帽子。戦国のカリスマ織田信長が武田信玄に贈ったプレゼント。信長にとって戦国最強軍団を率いる信玄は絶対敵にしたくない相手だった。

「エピソード2 最強軍団は占いで生まれた?武田信玄若き日の苦悩」信玄は家臣のために祈ったり、ほうびを与えたり、温泉を用意して福利厚生を充実させたり…と家臣が気持ちよく働けるよう気を配り、その心をつかんでいった。

「エピソード3 激突!長篠の戦い 戦場に散った忠義の男たち」信長は最強武田を叩くため3000丁の鉄砲を準備、万全の手を打つ。信長の作戦はことごとく的中、勝頼の命も風前の灯火となったその時、信長に立ちはだかったのが、命がけで主君を守ろうとする武田の男たちだった。【字幕制作:とちぎ視聴覚障害者情報センター】

利用区分 B-3 時間 43
DC2013-003

池上彰の戦争を考えるSP

~戦争を起こした独裁者と熱狂~

 今なお戦争や紛争が絶えない現代社会。いつの時代も戦争の陰には、独裁者とそれを支える民衆の熱狂があった。太平洋戦争時の日本、ナチスドイツ、中東の国々…それぞれの時代や地域で、戦争を支えた「独裁と熱狂」の真実について、池上彰がわかりやすい説明で迫る。
利用区分 B-3 時間 95
DC2013-002

防災の日スペシャル

首都大震災

わ・す・れ・な・い 3・11の警告

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災。あの日、東北では何が起きたのか。番組では震災時の貴重な映像をもとに、東日本大震災の被害を詳細に分析し、もし同じ規模の地震が首都圏を襲ったらどうなるのかを具体的に予測。どうやって大地震から身を守るか考える。
利用区分 B-3 時間 96
DC2013-001

NHKスペシャル

東京大空襲 583枚の未公開写真

 東京都文京区の民家で発見された大量のネガフィルム。それは太平洋戦争末期の東京の空襲被害を撮影した貴重なものだった。軍の許可を得た報道カメラマンによって撮影された写真の数々は、当時は軍の情報統制で世に出ることはなかったのだ。克明に記録された空襲直後の東京の町の様子。写真に写っていた人やその関係者を訪ね、当時のお話を聞く。
利用区分 B-3 時間 49
DC2012-001

池上彰の戦争を考えるSP

~こうして戦争は終わり戦後の復興が始まった~

 「戦争は始めることよりも、終わらせることの方が、何倍も難しい」と言われる。昭和20年夏、どのように日本は戦争を終わらせたのか、終戦をめぐる激しい動きを検証する。また、池上彰が戦後復興の真っ只中にあるイラクを取材し、21世紀最大の戦争とも言えるイラク戦争からの復興の現場をリポートする。
利用区分 B-3 時間 141
DC2011-005

NNNドキュメント’10

シリーズ戦争の記憶

いじてぃめんそーれ

故郷へ進軍した日系米兵

 比嘉武二郎さんは、ハワイで生まれ、16歳まで沖縄で育った日系二世。彼は昭和20年、米軍語学兵として沖縄に上陸した。何としても祖国沖縄の人を救いたいと、ガマに身を隠す故郷の人々に沖縄のことばで叫び続けた。「いじてぃめんそーれ」出てきてください、と…。
利用区分 B-3 時間 26
DC2011-004

あの日 昭和20年の記憶

昭和20年8月22日~8月28日

 太平洋戦争末期の昭和20年8月22日から8月28日。当時の様子や思い出を著名人に語ってもらうとともに、その日の出来事の新聞記事を紹介する。
利用区分 B-3 時間 50
DC2011-003

あの日 昭和20年の記憶

昭和20年8月15日~8月21日

 太平洋戦争末期の昭和20年8月15日から8月21日。当時の様子や思い出を著名人に語ってもらうとともに、その日の出来事の新聞記事を紹介する。
利用区分 B-3 時間 50
DC2011-002

あの日 昭和20年の記憶

昭和20年8月8日~8月14日

 太平洋戦争末期の昭和20年8月8日から8月14日。当時の様子や思い出を著名人に語ってもらうとともに、その日の出来事の新聞記事を紹介する。
利用区分 B-3 時間 50
DC2011-001

あの日 昭和20年の記憶

昭和20年8月1日~8月7日

 太平洋戦争末期の昭和20年8月1日から8月7日。当時の様子や思い出を著名人に語ってもらうとともに、その日の出来事の新聞記事を紹介する。
利用区分 B-3 時間 50
DC010-004

少女たちの日記帳

ヒロシマ

昭和20年4月6日~8月6日

昭和20年8月6日朝8時15分、広島県立第一高等女学校の1年生223人は、爆心地から600メートルの所で建物疎開の作業中に被爆し、全員が亡くなった。亡くなった1年生が遺した日記帳には、女学校入学から8月6日までの12歳の少女たちの日常が綴られており、現在、そのうちの10冊が公表されている。

番組では、再現ドラマと生き残った人々の証言を通して、少女たちの120日間の姿を描く。

利用区分 B-3 時間 43
DC2010-003

長崎原爆特集

あの日

僕らの夢が消えた

~被爆学校 生徒たちの64年~

長崎県諫早市にある鎮西学院高校は原爆で131人の生徒が亡くなったという悲しい歴史がある。原爆によって生徒たちが抱いていた夢や希望は一瞬で消え去った。生き残った当時の生徒たちは、その後どんな人生を送ったのか見つめる。
利用区分 B-3 時間 48
DC2010-002 JNN九州沖縄ドキュメント ムーブ 蒼天の下で 昭和20年・小さな森で起きた悪夢  昭和20年3月。現在の福岡県に位置し、旧日本軍が東洋一と誇った太刀洗飛行場が、アメリカ軍の大空襲を受けた。空襲は飛行場とその関連施設に限定されたものだったが、飛行場以外に投下された一発の爆弾が、不運にも森に避難していた小学生の上に落下、31名の児童が亡くなる大惨事となった。
利用区分 B-3 時間 25
DC2010-001 JNN九州沖縄ドキュメント ムーブ 惣ちゃんは戦争に征った ~三世代のシベリアの旅~

 終戦直前の昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦。当時の満州にいた多くの日本兵が捕虜となり、シベリアに抑留され、強制労働に従事させられた。

当時シベリアに抑留された貞刈惣一郞氏が、61年ぶりに長男・孫と一緒にシベリアを訪れ、当時のこと、仲間への思いを語る。

利用区分 B-3 時間 25

お気軽にお問い合わせ下さい TEL 095-847-2681 FAX 095-847-2572 受付時間 9:00 - 17:00 (水 ~21:00)
火曜休館日

PAGETOP
Copyright © 長崎県聴覚障害者情報センター All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.
PAGE TOP